長引く新型コロナウィルスに関連した消費活動の低下で、いくつかのクライアントさんの数字も伸び悩んでいるようです。
そのため、連載させてもらっている媒体が今年度からおよそ4割減りました(笑)。
これはなかなか凄い状況です。
同業知人も根負けして、介護職に就くことにしたのだとか。
僕は他人様のお世話をするほど徳がないし、まだギリギリ物書きでやっていけてるので、もうちょっと踏ん張ってみますね。
そういえば、ここ2か月のうちに「ライターになりたい」という人と「なにか案件回してよ」という人からの連絡をもらいました。
前者には「やめたほうがいいよ」と正直に話し、後者には「それは僕のセリフです」と返しております。
物書き稼業だけが斜陽ではないんですよね。
みんな苦しい。
「お仕事、承ります」という話をしたいと思ったけど、そんなのみんな同じこと。
僕もなんとかアレコレ出来ることだけやる所存ですんで、みなさんもどうぞ気持ちを強く持って働きまくりましょう。
どうせそのうち、良くなります。
ココロニプロロさんとこで、手相の記事の新しいの、上がってます。
読んでね~。
またね~。
すげえ久々にブログを書きますが、先日より『PROLO』さんにてコラムを書かせていただくことになっています。
既に第1号コラムは↓
と、こんな感じです。
ちょっとした手相の話を書くことが多くなると思いますので、よかったら読んでみてください。
じゃあ、またそのうちなんか書きますね。
たまにはこっちでも駄文をひり出そうか。
多くの人は、それぞれ少なからずこだわりを持っている。
そのこだわりが一番反映されがちなのが、趣味だ。
仕事や日常生活で溜まったストレス。それを解消するための趣味に、お金を投じたり、独特の嗜好に倣って楽しむ人は多い。
しかし、そんな趣味人の多くが中年以降になると、これまで自分がやってきた趣味の今後について、はたと考える時間が必ず訪れる。
それは特に、コレクターに顕著だ。
子供の頃から集めた模型、本人が死去して遺族が取り扱いに困るケース
先日Twitterをしていると、ある投稿が拡散されているのが目に付いた。
投稿者は30代の男性。先日60代の父が亡くなったというが、その際に処分に困ったのが、父親が生前蒐集していた模型だった。
戦艦に軍用機、戦車などのプラモデルが、完成品・未完成品問わず、無数に残されていた。
ところが息子はそれらの趣味に明るくなかったため、どう処分していいか分からない。そこでTwitterで引き取り手を捜しているということであった。
この場合は幸いにして多くのマニアが挙手したことで、ほとんどの遺産は次の持ち主の元に流れていった。
膨大なコレクションを抱えて死ぬ独身趣味人たち…
前述のエピソードはあくまで不幸中の幸いの話。
ほとんどの場合、コレクターの死後、大事にしてきた品々は無残にも処分されてしまう。
たとえば筆者も怪獣人形のコレクターだが、現時点で所有している品数はギリギリ把握できている。
というのも、30過ぎて独身だった時点で、いずれ孤独死する可能性を考えるようになったためだ。
ある程度集める人形の数に足が出たら、その分何かを処分することを心がけるようになった。
これなら孤独死しても、処分はまだ容易いはず(それでも相当な数かも知れないが)。
というか、これを怠ったまま死ぬコレクターは本当に残された人々に迷惑をかけてしまう。
昨今は独身世帯も増えているが、先日、知り合いの模型マニアが亡くなり、遺族からコレクションを処分したと聞かされたのだ。
当人が結婚もせず、貯金もはたいて必死で守ってきたコレクション。
しかし彼は市場価値のあるものはほとんど所有していなかった。
どちらかと言えば、世間に見向きされないようなモノばかりを、好んで集めていたのだ。それも素晴らしい趣味の形である。
だが、残った品々の市場価値はほとんど0に近く、買取店を巡って査定してもらっても、せいぜい70,000円程度にしかならなかった。
その上そういったコレクションを飾るためのラックも用意していたため、これを処分するため、高齢の両親が葬儀費用と別でお金を使うことになってしまった。
趣味の風呂敷の畳み方を考えて楽しむのが真のコレクター
趣味は没頭するに越したことはないが、やっぱり年齢相応の熱量を注がなければならない。
50になっても60人になっても、若い頃と同じ勢いでやるには無理がある。
それは特に、コレクターにとっては命題だ。
たとえ身寄りがなくても、自分が死ねば誰かが処分を任される。
このとき、あまりに膨大な数のコレクションを抱えて死ねば、余計な仕事を増やすことになってしまう。
どうせ人は死ぬ。
コレクターはくれぐれも、先々の迷惑を考えて趣味を楽しむべきだろう。